福島県飯舘村の避難と東海村の避難計画(先崎千尋)

【『スペースマガジン』2020年6月号 「葦の髄から」第46回】<著者の了解の下に転載>

 

 福島県飯舘村の避難と東海村の避難計画

 先崎千尋

 二つの緊急事態宣言

 このところずっとコロナ騒ぎでどこへも出かけられない。いろいろな行事もすべて中止だ。私は現在、主業が農業なので毎日田畑へ出勤。誰にも会わないので、コロナウイルスに感染する心配はない。それにカネもかからない。

 静岡県湖西市の前市長三上元さんのブログで、「知っていますか?二つの緊急事態宣言が出ているのを」という情報が届いた。二つの宣言とは、「コロナウイルス対策緊急事態宣言」と「原子力緊急事態宣言」だ。ウイルスの方は誰でも知っているが、もう一つの原子力の方は、ほとんどの人が忘れているのではあるまいか。

 法律では、原子力関係の仕事をする人の被曝線量は五年間で一〇〇ミリシーベルト、年平均二〇ミリシーベルト、一般人は年一ミリシーベルト、と決められている。しかし、緊急事態宣言が解除されていないので、一般人の被曝線量も二〇ミリシーベルトのままになっている。

安倍首相は、オリンピックの開催が東京に決まる前に「福島第一はアンダーコントロールの状態にある」と言っていた。福島第一原発がアンダーコントロールの状態なら、緊急事態宣言を解除すればいいではないか。しかし安倍さんにはそれはできない。何故なら、解除すると被曝線量基準を一ミリシーベルトに戻さなくてはならないからだ。これでは避難区域指定が解除できない。一ミリと二〇ミリとでは大違いだ。

 

 避難生活の苦しみ

つい最近、畏友村上達也君から「この本を読んでみろよ」と本を二冊渡された。それは菅野哲『<全村避難>を生きる』(言叢社)と上岡直見『原発避難はできるか』(緑風出版)だ。いずれもひとごとではなく、わがこととして読んだ。

 菅野さんは飯舘村の開拓農家の長男として生まれ、現在七二歳。同村役場職員を定年で辞めたあと農業に従事した。銀杏を植え、にんにく、ニンジンなどを作付けし、本格的に農業をやり始めた時、原発事故が起き、家族で福島市に避難した。二〇一四年には「原発被害糾弾飯舘村民救済申立団」を立ち上げ、東京電力へ謝罪、慰謝料の請求を行った。菅野典雄村長の親類になる。

 菅野さんは本書の序文で、「飯舘村民の生活再建への意志と思想を内外にくっきりと示したい。村と村民の歴史とあわせ、わたし自身の人生、とくに数度の危機の経験をとりだすことに心をつくした」と執筆の動機を書いている。本の帯には「福島第一原発過酷事故による全村避難。人々の生活圏を丸ごと破壊する状況のもとで、『いのちの権利』とはなにかを問い、個と家族と《基底村の共同性》に根をおいて、飯舘村民救済申立団の組織者としてたたかった、一人の村民の自伝的著作。飯舘村の公務員としての実体験と、公務員としての倫理を証言した記録でもある」とある。避難生活の苦しみ、避難解除されても村に戻れないもどかしさが伝わってくる。

 その内容は「飯舘は何を問いかけるのか」、「飯舘村民救済申立団の結成と謝罪・賠償要求」、「家郷の破壊」、「申立の趣旨」と、菅野さんへの聞き書きなどから成っている。

 「私が一番大事だと思うのは、今度の事故は福島の問題ではなく、日本全体の問題であり、世界の問題であり、二度とあってはならないことだ。私たちは今までの人生で築いてきた歴史を失った。実績、持っていたもの、培ってきたもの全てを根こそぎ失った。飯舘村には、村民がみんなで村づくりをしてきたという誇りがある。しかし事故でそれがないがしろにされてしまった」。

 そうした村民の無念の思いを東京電力にぶつけよう、謝罪、賠償を求めようとしたのが救済申立団だった。菅野さんはその組織化と申立事項をまとめることに全力を傾けた。原子力災害による人間と地域の存在破壊、生活破壊によって「棄民」に追いやられるのは我慢ならない。字を追うと、菅野さんの息遣いがひしひしと感じられる。江戸時代の一揆や明治初期の秩父事件の菊池貫平、茨城県の小瀬一揆の本橋治郎左衛門などの指導者たちを思い浮かべる。東京電力や村長に正面から立ち向かった菅野さんは、昔だったら間違いなく打ち首になっていた。江戸時代末期、この地域を支配していた相馬藩は二宮尊徳の指導を受け入れ、実行した。また北陸から勤勉実直な真宗門徒の移民を受け入れた。そのような歴史と風土が菅野さんを生み、育てたのだと考えられる。

 本書でハッとしたのは、公務員は国民、村民のために仕事をするのだという当たり前のことを菅野さんは貫き通したということだ。公務員の基本倫理を忘れた(あるいは知らない)国の役人、特に財務省、経産省、厚労省の人たちに読んでもらいたい。

 

 原発避難はできるか

 著者の上岡さんは環境政策が専門で、自動車、鉄道、原発などの著作が多い。

 茨城県には日本原電(株)東海第二発電所がある。運転開始からすでに四十年経っている。一昨年秋、わが国の原子力規制委員会はその二十年延長、再稼働を認める決定をした。そしてその再稼働のための事前工事が進められている。最終的には、避難計画の策定と東海村など周辺六市村の了解がなければ動かせないが、知事と六市村の首長はすべて再稼働について賛否を明らかにしていない。

 原発で東京電力福島第一発電所のような大事故が起きた場合、周辺住民は速やかに避難しなければならない。そのために、国と原子力規制委員会は原子力災害対策指針を決め、それに基づいて県・市町村の避難計画が作られることになっている。福島の事故の時にどうだったのかは、菅野さんの本に詳しく書かれている。

 この本では、「新安全神話」と再稼働の危険性、避難行動と被曝の基本、福島以後の避難政策の変遷と問題点、避難の困難性、避難したあとどうするかなどが書かれており、主に東海村で事故が起きたらどうなるのかを例として挙げている。私たち茨城県民にとっては大事だと思われることを本書に即して見ておこう。

 上岡さんはまず、「世界一厳しい安全基準」と称される「新規制基準」は、空き巣犯に玄関から侵入された経験から、玄関には何重にも鍵や監視カメラを取り付けたが、窓やベランダの引き戸は前のまま、だと言う。これまでに起きた事故の多くは、誤操作、不注意などの人的原因や機器故障などによって起きている。一九九九年に起きた東海村のJCO事故の場合もそうだった。東海第二原発は運転を停止してから十年近くなる。

 福島の次に大惨事が起きるとすれば、それは東海第二の可能性が最も高い、と上岡さんは予測する。東海第二でもし事故が起きれば、茨城県内だけでなく、東京、神奈川までも避難、一時移転対象となるレベルの放射性物質が拡散される。

 避難計画の策定では、五㌔圏内は即避難、三〇㌔圏内は屋内退避、段階的避難とされているが、三〇㌔圏外に脱出すれば安全という根拠はない。このことも飯舘村で証明されている。その時の風向き具合により、予測はできない。国の「指針」は「できるだけ住民を逃がさない」方針に替わっていることも見逃せないことだ。住民を避難指示によって動かすと、事業者に補償責任が発生するからだという。

 屋内退避にも問題がある。逃げないで家に留まるとして、電気、ガス、水道、食料などはどうなるのだろうか。大体、「先に五㌔圏内の人が逃げてください。それより外の人は指示を待って、それから逃げてください」などということをまともに聞く人はまずいない。だれもが我先に遠くに逃げるのではないか。九年前には、電気、ガス、水道は止まってしまった。

 想定されている避難先は水戸市が高崎市、前橋市、日立市が福島市、猪苗代町など、移動距離が一五〇㌔を超える所もある。果たしてたどり着けるのだろうか。

 橋本昌前知事は、三年前の知事選の時に、避難計画などできっこないとはっきり言っていた。山田東海村長からも、複合被害の想定はできないと聞いている。東海村には、原発の他に多くの原子力施設があることを忘れてはなるまい。

 無事(?)避難できたとして、避難者の生活はどうなるのだろうか。それも菅野さんの本に詳しいが、まず人間としての暮らしはできない。長期化すれば、生計をどうするか、子供の学校は、など多くの問題がある。原発の事故はすべてを破壊してしまうのだ。

 上岡さんは本書の結論として、ひとたび原発事故が起きれば、安全な避難は不可能、住民の生命・財産を守るための最も賢明な選択は原発の停止、と言っている。

 前福島県双葉町長の井戸川克隆さんも、「事故が起きたら、避難計画は役に立たない。とにかく逃げろだ。再稼働に同意した首長は、事故が起きたらその責任を問われる」と言っている(「東京新聞」3月10日)。

 

 茨城県では、東海第二原発の再稼働を県民投票で決めようという条例の制定を求める署名が必要数を大きく超え、請求が認められれば、六月の県議会で審議される見通しだ。その結果が注目される。